
穂積天佑が幼少期に起こした奇跡に由来する財布が誕生!

最勝王法神道財布『白蛇神』 御祈祷
詳しくは動画ご覧ください
白蛇財布
菅原道真公の硯を公開
菅原道真公が使った硯

裏にはササン朝ペルシャ時代に使われていた パフイラディ文字が刻印されている

菅原道真公のご本尊

財運と無病息災に通じ、持つだけでありがたい護符となる最強の金運財布が誕生!
現代の陰陽師 穂積天佑宮司による最高峰の祈祷修法を賜り、財運と無病息災に通じる最強の財布=最勝王法神道財布『白蛇神』が誕生いたしました。

大和建国の祖神・櫛甕玉饒速日尊の直系、また後醍醐天皇の王孫、南帝・小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)の正統な皇胤であり、陰陽道の祖 役行者(えんのぎょうじゃ)より陰陽の秘法を、安倍晴明の末裔 土御門家より天社陰陽道を授けられし穂積家の嫡流として、二つの陰陽道の法脈を受け継ぐ唯一の陰陽師である穂積天佑(神道法名:天佑宜龍大彦之尊)宮司。
子之神社(神奈川県)第53代宮司を務める天佑宮司が継承する最高峰の祈祷法「最勝王法神道大護摩」を賜った財布『白蛇』は、天佑宮司が4歳の時に発揮した「白蛇の奇跡」に由来する財布です。
蛇は龍に通じる存在で、大地、ひいては地球の守り神として古くから信仰されてきました。
また、蛇の和合の強さから夫婦円満、縁結び、さらに弁財天の使いとされる白蛇には豊穣、財運、金運や平和をもたらすとされ、それらを象徴する白く染め上げた蛇側を表側に使用。
更に牛革を用いた財布の内部に十種神宝(とくさのかんだから)の意匠、ファスナートップに十六弁中八菊紋(じゅうろくべんなかにやつぎくのもん)を配した、誇らしさに満ちた財布です。

一流革職人がハンドメイドで仕上げた逸品。祈祷之証と共にその品格に相応しい桐箱に収めてお届けします。手にした瞬間から、財運と健康長寿のご加護があなたを包み込むことでしょう。
天佑宮司が4歳の時に起こした白蛇の故事とは? 由緒ある穂積家の後継者は穂積家の家系に連なるものであると同時にある条件が必要になります。 それは身体に「くしびのまちかた」と呼ばれる龍の三本の爪痕がなければなりません。これは穂積家の初代の祖先が龍につかまれて、高天原から地上に降りたとする故事に由来し、この3本の爪痕ことが霊統の証を示すものなのです。
穂積天佑宮司は穂積家の遠縁ではあるものの神職家とは無縁の一般家庭の子供でしたが、「龍の爪痕」があることを一族の長老たちに見いだされ後継者に選ばれたのは齢3歳の時でした。
1300年の歴史の中で、当主に必ず必ず現れる 龍の爪が3本・3歳でしるしより、子之神社の後継者に選ばれた

後継者となった翌年、天佑宮司が神社の背後にあった徳川家康が植えたとされる伝承を持つ松の巨木に「白い紐が見えた。あんな高いところに誰が紐をと思い」、それを養子先の祖父に伝えると、それを見た祖父は「あれは紐ではない。
生きている」とつぶやきました。やがて、海岸から漁師が飛んできて「神主さん、大松に白蛇が絡んでいるのは本当か?」と松を見上げました。その日から1週間カツオの大量で港は賑わいました。
後年、穂積宮司は「あれは幸運をもたらす白蛇の神様。霊的な存在だったと思う」と語ります。 白蛇によって招かれた吉祥、これこそが穂積宮司が最初におこした奇跡だったのです。
最勝王法神道大護摩の終わりと共に顕現した白蛇宝船! 令和6年も押し迫った12月25日。 子之神社では最勝王法神道財布『白蛇神』の最初の御祈祷が執り行われました。 その模様は有名雑誌の取材も並行して行われましたので、実際の記事(令和7年2月9日発行)をご覧になった方も大勢いらっしゃるかと思います。

穂積天佑宮司が 3日間を直筆で書いた祝詞

最勝王法神道財布『白蛇神』を手にされる皆様の幸せを願い、厳かに「最勝王法神道大護摩」を賜りました。 すると神儀を終えた護摩壇を写真に納めると、炎の中に蛇を思わせる不思議な光景があらわれたのです。

動画
天佑宮司に写真を見せて尋ねると、頭をもたげているのは「みづち」、その上に見える燃える護摩木は宝船をあらわしています。
これは蛇川の財布とその内部にあしらわれた十種神宝を象徴といえます。また、燃え残った護摩木が鳥居のように重なっているのは、この瞬間にここに神域が現れたことを意味しているのです。
つまり、この財布が霊験あらたかであることを私たちに伝えるために「白蛟宝船」が現れたのだと思います。
蛟を象徴する白い蛇革 財布の表面には白く染め上げた一枚革の蛇革を贅沢に使用しています。 これは水を司る白蛇の象徴であり、気脈の流れを整えることで、あなたの財布が湯水のごとく財運に満たされることを象徴したものです。
また、白蛇は金運をもたらす弁財天の使いとされますが、弁財天もまた河の女神サラスヴァティを源流とする福の神ですので、白蛇と表裏一体の存在でもあるのです。
運気を隆盛へと導き、病気平癒を叶えるとされる十種神宝

正式には天璽瑞宝十種(あまつしるし・みずたから・とくさ)と称される十種神宝は、『先代旧事本紀』に登場する国家の隆盛や病気平癒を叶える霊力を宿すとされる十種類の神器のことで、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降りする際に、天神御祖(あまつかみみおや)から授かったとされます。 鏡が2種、玉が4種、比礼(女性がまとうスカーフの様なもの)が3種、剣が1種に分類されます。

・沖津鏡(おきつかがみ):遠くを見通し、栄誉と栄光をもたらす鏡 ・辺津鏡(へつかがみ):栄誉と栄光をもたらす近くを見るための鏡
・八握剣(やつかのつるぎ):世を平定させる破邪の剣
・生玉(いくたま):活力を与える玉 ・死返玉(まかるかへしのたま):死者を蘇らせる玉
・足玉(たるたま):五体を健全な状態にする玉 ・道返玉(ちかへしのたま):離れいく魂を引き留めもといた場所に還す玉 ・蛇比礼(おろちのひれ):毒蛇による被害を跳ね除け、追い出すための比礼
・蜂比礼(はちのひれ):蜂による被害を跳ね除け、追い払うための比礼
・品物之比礼(くさぐさのもののひれ):全ての邪を祓い、すべてを清める比礼
尚、最勝王法神道財布『白蛇神』に用いた意匠は穂積家に400年ほど前から伝わる古文書に記されたものをモチーフにしたものです。

十種神宝があしらわれた財布の内装には牛革を用いています。これは疾病を防ぐ御利益を持つ牛頭天王(ごづてんのう)に通じるものです。
牛頭天王は薬師如来を本持仏とし、神仏習合により素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同体とされる神です。幾ら金運に恵まれても、健康でなければその恩恵を享受することはできません。 黄金に染めた牛革は十種神宝の霊力を最大限高める依り代でもあるのです。
南朝の皇胤をあらわす十六弁中八菊紋
十六弁中八菊紋は、古くは南朝(大覚寺統)の正紋とされるものです。 その南朝の皇胤・血統を受け継ぎ、後醍醐天皇の王孫でもある天佑師にまで連綿と継承されてきた由緒正しいこの御紋は、陰陽開運の神力を秘め、この先のあなたの未来をも照らし大いなる吉祥をもたらすとされるものです。

ニギハヤヒ(饒速日)は日本の初代王とされ、 神々の御名とされています。
ニギハヤヒのご本尊
 穂積天祐(天佑宜龍大彦之尊) ・古神道宗家 布留乃惟神之大道 (フルノカムナガラノオオミチ)第七十四世総斎主 ・役行者御直伝 陰陽孔雀明王之秘法継承 第五十三世総修法師 ・後醍醐天皇王孫 ・日本最古占術『天津神占』継承主 ・宮中伝統祭儀有職研究家 子之神社第五十三代正統最終宮司 ・万葉倭歌道 飛鳥葛城流第五十三世 家元 ・天社陰陽道菅原宮内派第十三代宗家陰陽師

二千数百年の歴史を有する古神道の正当を継承する、我が国屈指の由緒ある神職家を継承。 連綿と受け継がれてきた伝来の秘法・秘術により、人々の願いに応じて数々の祈祷・禁厭・神占を執行。 古くからの神官家である穂積家は古代期の代々の天皇家及び南北朝時代の南朝天皇家(大覚寺統)にも使えた国内屈指の神職家であり、その伝統と秘法、高貴なる系譜を受け継いでいる。

子之神社《ご由緒》 遙か太古の昔、大海原の彼方から、龍王、妃、王子の三柱の神々が、荒藺乃崎(現在の真鶴岬)に御船に乗られて御出でになり、当地を開拓されたと伝えられています。 その後、文武天皇4年(西暦700)、役行者と共に、当地を訪れた御杖代・穂積濃美麻呂卿が、師である役行者と共に、陰陽の秘法を以て、金剛蔵王権現、弁財天、子守大明神をお祀りしたのが当神社の創祀であり、その折に、当地に「霊妙なる薬湯」を見出したのが、現在の湯河原温泉の始まりと伝えられています。

時は移ろい、平安の世は、天暦7年(西暦953)、濃美麻呂卿の十代目の孫、穂積俊基卿が、当地海岸の「竜宮の鼻」と称される大岩に、金色に輝く神霊が降臨されたのをお迎えし、初めてやしろを設け、お祀りしたのを創建とします。


その後、当地の豪族、荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、その主君、源義家公、その子孫、源頼朝公、源義経公も、篤い信仰を寄せました。 時は降り、應仁の大乱も収まりし、南朝・明應10年(西暦1478)、戦乱に明け暮れる都を逃れ、御一門の山田宮を伴われ、楠一族、菊池党、高橋党などの忠臣の警護を受けつつ、当地に尊き御身を寄せられた、後醍醐天皇の玄孫の宮に坐す、小倉宮尊成親王は、時の神官、大和守重勝の娘、安津佐姫を娶られ、祀職となられ、お若きみぎり、吉野は金峯山に於いて、修行に励まれていた折のこと、大天狗から法力を授けられた故事にちなみ、「天佑」と称され、この名が後の代々の宮司の法名とはなり、又、平安京の北方の守護である子之宮の神霊を、当神社に併せ祀られました。
他に、やしろの杜に住まう梟の鳴き声を、「東路(あづまぢ)を 吾が越へくれば ひなの里 福ぞ来たらむ みつかひの声」との歌に詠まれて、このことを瑞祥とされ、この地を「福ぞ来たらむ里」と名づけられ、それが現在の福浦の地名の由来となった、と云う逸話も残されています。爾来、第五十三代宮司、穂積天佑、こと、天佑宜龍に至るまで、連綿と途絶えることなく、その血脈法統は受け継がれ、地元はもとより、広く日本全国、また海外に至るまでも、多くの人々の信仰を集め、心の拠り所となっています。 https://sites.google.com/view/nenojinja/
子之神社《御祭神》 大己貴命 (おおなむちのみこと)
、・素戔鳴尊(すさのおのみこと) 、・天照國照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(あまてらすくにてらすひこあめのほあかりくしみかたまにぎはやひのみこと)、倭建尊(やまとたけるのみこと)、
・熊野三所大権現《家都美御子大神、速玉男神、熊野夫須美大神》(くまのさんしょだいごんげん《けつみのみこのおおかみ、はやたまおのかみ、くまのふすみのおおかみ》)、
・金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、市杵嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)、子守大神(こもりのおおかみ)などの神々を始めとして、天地坐八百萬神をお祀りしている。


子之神社穂積天佑 最勝王法神道財布『白蛇神』 販売価格:80,000円(税込88,000円) サイズ(約):縦10cm×横19.5cm×厚み3.4cm
重量(約):190g 材質:ニシキヘビ、牛革、 ファスナートップ :真鍮
仕様 小銭入れ×1、札入れ×2、カード入れ×12,フリーポケット×2
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